論文(卒論)の書き方
書籍の場合:
林俊昭・山田昇『アジアの工業化――高度化への展望』アジア経済研究所、1987年。
林俊昭・山田昇[1987]『アジアの工業化――高度化への展望』アジア経済研究所。
論文集の場合:
山田昇「韓国経済の危機と再生」(林俊昭編『アジアの工業化――高度化への展望』アジア経済研究所、1987年)。
山田昇[1987]「韓国経済の危機と再生」(所収: 林俊昭編『アジアの工業化――高度化への展望』アジア経済研究所)。
訳書の場合:
C・オミナミ(奥村和久訳)『第三世界のレギュラシオン理論』大村書店、1991年。
C・オミナミ(奥村和久訳)[1991]『第三世界のレギュラシオン理論』大村書店。
雑誌論文の場合:
吉田庄一「中東欧体制転換の経済理論」、『経済体制研究』(経済体制研究会)、第4巻第2号、1999年。
吉田庄一[1999]「中東欧体制転換の経済理論」、『経済体制研究』(経済体制研究会)、4(2)。
辞典の場合:
「ショック療法」の項、『経済大辞典』、杉並書店、1999年、p.232。
新聞の場合:
「全世帯家計調査 消費支出1.9%減」、『日本経済新聞』、2000年7月7日号(夕刊)。
ホームページの場合:
「平成12年国勢調査の概要」(総務省統計局統計センター)、http://www.stat.go.jp/data/kokusei/index.htm、アクセス日時:2003.02.01
21:00
* ホームページから引用する場合の注意点: ホームページは誰でも開設できる。したがって、社会的信用をかけて研究者が執筆し、それを編集者が責任を持って出版した場合と異なり、引用したサイトの情報が不正確であったり、意図的に不正確な情報を流している場合があることにまず注意しなければならない。つぎに、書籍の場合、新版で大きく内容が書き換えられても、各版は図書館等に残されており、誰でもそれを確認することはできるが、ホームページの場合、引用したサイトの内容が後で書き換えられたり削除されても、引用した時点での内容を後で確認できないことに注意しなければならない。つまり、脚注や引用文献を参照して読者が筆者の主張の根拠を検証しようとする場合、できない可能性が高くなるので、論文でホームページを利用する場合は、十分にこれらの点に注意する必要がある。ただし、最近は公式統計データや学会、報告書等をホームページのみで公開しているケースも増えてきたので、ホームページを引用することがすぐにその論文の信頼性を低めるというわけではない。以上の様な問題点があるため、引用の際には少なくともアクセス日時を記載するのが一般的である。
書籍の場合:
J. Sachs.
J. Sachs (1993).
論文集の場合:
Mckinnon, R. I. 'Gradual Versus Rapid
Liberalization in Socialist Economies: The Problem of Macroeconomic Control',
in: Bruno, M., and B. Pleskovic (ed.). Proceedings
of the World Bank, Annual Conference on Development Economics.
Mckinnon, R. I. (1993). 'Gradual Versus
Rapid Liberalization in Socialist Economies: The Problem of Macroeconomic
Control', in: Bruno, M., and B. Pleskovic (ed.). Proceedings of the World Bank, Annual Conference on Development
Economics.
雑誌論文の場合:
Lipton, D., and J. Sachs. 'Creating a Market
Economy in
Lipton, D., and J. Sachs (1990). 'Creating a
Market Economy in
邦訳がある場合:
Calros Ominami. Le Tiers Monde dans la crise. Paris: Edition La Decouverte, 1986 (邦訳: 奥村和久訳『第三世界のレギュラシオン理論』大村書店、1991年)
Calros Ominami (1986). Le Tiers Monde dans la crise. Paris: Edition La Decouverte (邦訳: 奥村和久訳『第三世界のレギュラシオン理論』大村書店、1991年).
通常、国家介入主義、またはエタティズム(1)が台頭してくる背景には、そうした政策を後押しする強力なイデオロギーや政策グループが存在するものである。しかし、ポーランドではこの種のイデオロギーや勢力は希薄で、むしろ経済学界や産業界はエタティズムには否定的であった。さらに、政府自体もエタティズムを積極的に進める意志はなかった。
第二共和国成立当初から経済学界の主流をなしていたのは、ケンブリッジ学派、新古典派、オーストリア学派の影響を受けた自由主義経済学の潮流で、なかでもアダム・クシジャノフスキ(Krzyżanowski, Adam)を中心としたクラクフ学派(szkoła krakowska)は、当時のポーランドにおける経済学の傾向と水準を示したものであった(2)。クシジャノフスキは第二共和国建国当初から国家による経済活動を制限するように訴えている。クシジャノフスキはエタティズムやカルテルに強く反対し、私的所有を基礎とした経済学的自由主義を主張した。この思想は経済学にとどまらなかった。彼は議会制民主主義の退廃は、経済活動が民主主義(自由主義)の原則からはずれ、独占や国家介入主義がはびこっているからだと考えた。1920年、1922年に開催された法律・経済学者学会では、エタティズムに対する批判が主流を占め、特に後者では圧倒的多数で国家の経済活動に対する国家介入は最小限にとどめるべきだという決議がなされている(3)。また、1919年に設立された財界の連絡組織である「レビアタン」(Lewiatan)も、国家は経済の錯乱要因だと強くエタティズムを牽制している(4)。スタニスワフ・グウォンビンスキ(Głąbiński, Stanisław)、スタニスワフ・グラブスキ(Grabski, Stanisław)や大蔵大臣のヴァディスワフ・グラブスキ(Grabski, Władysław)をはじめとする国民学派(szkoła narodowa)も、国営企業経営が私営と比較して非効率的で収益性が低いと考えられることなどを理由に、エタティズムに反対の姿勢を示している。私有制度を経済活動の前提とするカトリック系経済思想の潮流や農民運動の潮流もまた同様である。社会主義、共産主義の潮流は国家の役割を重視するが、いうまでもなく資本主義体制下における国家の経済介入を支持している訳ではない。わずかに、ルブリン工科大学のカトリック系経済学者、レオポルド・カロ(Caro, Leopold)ら一部の論者が、独占や社会的不平等といった自由市場の弊害を是正する意味で、エタティズムを容認する主張を行っている(Roszkowski [1978], pp.625-628)。このように、経済学界、産業界の中で国家の市場介入に対する警戒心が強い背景には、列強支配から脱してまだ間もない時期であり、権力による社会への介入への嫌悪感が根強くあったことや、また、社会主義への道を歩み始めたロシア(ソヴィエト)の影響を懸念する雰囲気があった。
(田口雅弘『現代ポーランド経済論 成長と危機の政治経済学』、第二章より)
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(1)エタティズムの概念は論者によって様々に解釈されている。たとえばA・クシジャノフスキはエタティズムの要素として「(1)厳密な意味でのエタティズム、つまり企業かまたは銀行家としての性格を持つ国家の役割、(2)関税、課金、課税面での保護主義、(3)国家が経済活動に影響を与えるその他のケース、とりわけ価格や賃金の統制を含む介入主義」をあげている(Zagóra-Jonszta
[1990], p.191)。また、K・ジェブルスキは国家介入主義(interwencjonizm)と区別してエタティズムを「国家が投資者として直接経済活動を行うという積極的な国家介入の形態」と規定している(Dziewulski
[1981], p.9)。本書では、エタティズムをめぐる様々な論争を扱うので、広義でこの概念を使うが、基本的には若い独立国家における脆弱な民間資本にかわって国家が投資者・経営者として生産活動にしだいに深く関わっていくことを積極的に位置づけようとする政策思想を指すものとする。
(2)自由主義経済思想の流れ、およびそのエタティズムに対するスタンスについては次の文献に詳しい: Roszkowski [1978], pp.617-621; Dziewulski [1981],
pp.36-62; Stankiewicz [1998], pp.333-360.
(3)第6回法律・経済学者大会(Y Zjazd Prawników i
Ekonomistów)は1920年5月21-23日にワルシャワで、第7回法律・経済学者大会は1922年6月3-5日にポズナンで開催された。
(4)通称「レビアタン」の正式名称は「ポーランド工業・鉱業・商業・金融中央連合会」(Centralny
Związek Polskiego Przemysłu, Górnictwa, Handlu i Finansów)で、ポーランド王国時代の産業家・財界人連絡組織を継承した形で1919年12月15日に設立された。「レビアタン」は、経済界が共同で政府に対して意見を表明するための経済連合組織で、当初は主に旧ポーランド王国に所在地を置く29の大企業が参加していたが、世界大恐慌以降はシロンスクの企業グループもこれに加わった。この設立はポーランドが列強分割から脱した直後でもあり、彼らは国家の市場介入は列強支配を彷彿させるものとして強く反発した。しかし、世界大恐慌以降は1933年のプログラムに見られるように、国家の経済支援を求めていくようになる。参照: Garlicki,
Andrzej i inni (ed.) [1999], p.57.
(文献一覧)
(1)
Dziewulski, Kazimierz [1981]. Spór
o etatyzm. Dyskusja wokół sektora państwowego w Polsce międzywojennej 1919-1939.
Warszawa, PWN.
(2)
Garlicki, Andrzej i
inni (ed.) [1999]. Encyklopedia Historii
Drugiej Rzeczypospolitej, Warszawa: WP.
(3)
Kaliński, Janusz & Zbigniew Landau [1998]. Gospodarka Polski w XX wieku.
Warszawa: PWE.
(4)
Kawalec, Krzysztof (wyb. i op.) [1996]. Roman Dmowski o ustroju
politycznym państwa. Warszawa: Wyd. Sejmowe.
(5)
Kawalec, Krzysztof [1998]. ‘Państwo i naród w dwudziestoleciu
międzywojennym spory nie zakończone’. in: Wrzesiński, Wojciech (ed.) [1998]. Do niepodległości. 1918, 1944/45, 1989.
Wizje-drogi-spełnienie. Warszawa: Wyd. Sejmowe, pp.183-200.
(6)
Micewski, Andrzej [1971]. Roman Dmowski. Warszawa.
(7)
Roszkowski, Wojciech [1978]. ‘Gospodarcza rola państwa w polskiej
teorii i publistyce ekonomicznej oraz społeczno-politycznej lat 1918-1924’, Ekonomista, nr 3.
(8)
Roszkowski, Wojciech [1987]. ‘Gospodarcza rola większej prywatnej
własności
ziemskiej w Polsce 1918-1939’,
"Monografie i opracowania", nr 191. Warszawa: SGPiS.
(9)
Roszkowski, Wojciech [1995]. Land
Reforms in East
(10)Stankiewicz, Wacław [1998]. Historia mśli ekonomicznej. Warszawa:
PWE.
(11)Wapiński, Roman [1988]. Roman Dmowski.
(12)Zagóra-Jonszta, Urszula [1990]. ‘Akademicka
myśl ekonomiczna wobec interwencjonizmu w Polsce międzywojennej’, Ekonomista. nr 1.
(13)Zdziechowski, J. [1925]. Finanse Polski w latach 1924 i 1925, Warszawa.
(14)田口雅弘 [2000] 「両大戦間期ポーランドの国家と市場」、中山昭吉・松川克彦編『ヨーロッパ史研究の新地平 −ポーランドからのまなざし−』昭和堂。
(15)A・ポロンスキ(羽場久み子監訳 越村勲・篠原琢・安井教浩訳)[1993] 『小独裁者たち 両大戦間期の東欧における民主主義体制の崩壊』法政大学出版局。
(16)ジョセフ・ロスチャイルド(大津留厚監訳) [1994] 『大戦間期の東欧 民族国家の幻影』(人間科学叢書23)刀水書房。
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Example |
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Fig. |
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図 |
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ibid. |
in the
same place |
同じ個所に、同書 |
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the same |
同書 |
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i.e. |
that is |
すなわち、換言すれば |
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incl. |
including,
includes |
含む |
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n. |
Note |
注 |
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n.d. |
no date |
日付不明 |
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no. |
number |
第...号 |
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n.p. |
no place,
no publisher |
出版地不明、発行者不明 |
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op. cit. |
in the
work cited |
前掲書 |
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p. |
page |
ページ (ex.
p.35) |
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par. |
paragraph |
節、項、段落、パラグラフ |
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pp.35-39) |
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ser. |
series |
シリーズ |
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trans. |
transrated,
translator |
訳、訳者 |
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UP |
University
Press |
大学出版局 |
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vol. |
volume |
第...巻 |
5.図表作成上の注意
例: 表1 日米における税制の比較
第1表 日米における税制の比較
例: 表1が示すとおり…
…といえる(図1参照)。
例: (出所)山田太郎『日米における税制の比較』山海出版、1999年、p.23。
例: (原典)Washington Economic Research Institute. Economic Report 1999.
(出所)山田太郎『日米における税制の比較』山海出版、1999年、p.23。
例: (出所)筆者作成。
(出所)山田太郎『日米における税制の比較』山海出版、1999年、p.23、のデータにもとづき筆者作成。
6.論文の構成 (目次の作り方)
区分 (部)、章、節、項
はじめに
(部)
章 T、U、V、W、X
節 (1)、(2)、(3)、(4)
項 (a)、(b)、(c)、(d)
まとめにかえて
脚注
文献一覧
要約
または
はじめに
第1章、第2章、第3章
第1節、第2節、第3節
第1項、第2項、第3項
まとめにかえて
脚注
文献一覧
要約
英文の場合
Introduction (Preface)
Part One, Part Two (PART T, PART U)
Chapter I, Chapter U
1., 2.
Concluding Remarks (Conclusion)
Notes
Bibliography
Summary (Abstruct)
*
その他、いろいろなスタイルがある。各学部、掲載雑誌の執筆要項を確認し、それにもとづいて書くこと。
7.校正
校正原稿

校正後
