ポーランドの鉄道(1) ワルシャワとその周辺
中村卓之
DQF10360@nifty.ne.jp
中欧を中心に渡欧を繰り返してきたけれど、ポーランドは昨年(2000年)9月に初訪問しました。第一の目的は各種鉄道の撮影でしたが、その文化風土にもすっかり魅せられました。帰国後の膨らむ思いを以下に整理してみました。
欧州では大都市の鉄道ターミナルはパリやロンドンに代表されるように、 各方面別に行き止まり式の「終着駅」が複数所在していることが多い。しかし、 ワルシャワでは都心部を東西に縦貫する幹線があり、地下駅の「中央駅」から 国内外へのほとんどの長距離列車が発着する、たいへん便利で機能的な構造と なっている。
旅行ガイドでは「中央駅付近は治安が悪いから注意」といった紹介がされて いるけれど、中央駅から地下鉄駅周辺は常時2人組み警官は巡回しているので、 治安面では急速に改善されているようだ。
まず「中央駅」のなりたちについて。
ワルシャワは古くから交通の要衝であったものの、かつては市街地を東西に縦貫 する鉄路はなく、第一次大戦後に独立を回復した時点で、それが大きな問題とな り、都心部を地下線で貫く縦貫線が建設され、完成したのは、第二次大戦後間も ない1949年という。
「写真1」
はワルシャワ東駅発、カトビッツエ、プラハ経由のウィーン行きEC (ユーロシティ:ヨーロッパ国際特急)「ソビエスキ」が東駅を出発後、ヴィスワ川 を渡り、中央駅に向かうところです。東欧圏に直通するECは1988年にウィーン〜 ブダペスト間の「レハール」を先鋒に、1990年頃から続々と仲間が増え、快適な 旅行を提供している。
「写真2」
は地下の中央駅に到着するクラコフ行きの急行列車で、長距離用のこの 駅は1975年に完成した。それ以前は、クラクフやカトビッツェに向かう列車はここ から1`ばかり西側にある旧・中央駅(Glowna)を起点としていた。また、この 地下区間は南側を近郊電車が並行しているが、電車用の中心街駅(Srodmiescie)は 千鳥状に配置されているので、中央駅のホームにいると、格子状の壁の向うを近郊 電車は通過するだけだ。
「写真3」
は中央駅の西側にあるのオホタ(Ochota)駅のホームから写した地下トンネルを 出てきた近郊電車で、3両を一組とした中庸なスタイルの国産車。塗装はクリーム /青とオレンジの2種があったが、同じタイプの車両のようだ。
「写真4」
は中央駅から約1`、Ochota駅の西側の堀割りをゆくオレンジ色の 近郊電車だが、落書きが酷い。今、欧州ではイタリアとポーランドが落書きの最盛期 のようだ。近郊電車の半数以上が被災していた。
手前2線が長距離列車線、次いで2線が近郊電車線、奥の2線は近距離電車の路線 で、路面電車を一回り大きくしたような奇妙なスタイルの電車が走っていた。
この写真の左(南側)にはソビエスキ・ホテルがあるが、右側は旧・中央駅(Glowna) で、その一部分が「鉄道博物館」として活用されている。この駅は第二次大戦の勃発 した1939年に一部が完成した。今でも、その名を残すものの、外から見れば廃墟の ようにも見える(1939年当時の時刻表ではGlowna駅は東駅とともに、ワルシャワの 主要駅として機能していたことが解る。また、縦貫線も一部長距離列車の使用を始め ていたようだ)。
鉄道博物館は簡素な旧駅舎を活用したと思われる、屋内展示室があるが、何といっ ても見所は旧ホームを活用した歴史的車両の屋外展示場だ。
「写真5」
は屋外展示場の入り口から3列に並ぶ車両のうちの右2列で、ここには 主として鉄道全盛期(結果的に両大戦間を中心とした時代)の蒸気機関車や電気機関車 等が見られる。ただ、客車や電車といった実際に乗車する為の車両がないのは残念だ。
写真の右側先頭のPm3型はもとドイツ鉄道の03.10型。高速運転に適した三気筒の 流線型急行用機関車で、1939年から製造が開始された。第二次大戦後、旧ドイツ領 地域に残された機関車で、同系の機関車は1970年代まで活躍していた。
ドイツ国内に残った流線型蒸気機関車は普通型に改装されたので、オリジナルの 流線型を残す貴重な車両だ。
左側先頭のPt47型は1947年から製造が開始された国産の急行用機関車で、この 形式はまだ現役だ(『地球の歩き方 チェコ・ポーランド・スロヴァキア』にも 紹介されているポスナンの南方、ウォルシュティンをベースに何種類かの蒸気機関車 が定期列車を牽引しているが、そのなかの一形式。なお機関車形式のPは急行用機関 車を意味している)。
「写真6」
は展示車両としては異色の装甲車で、欧州に現存する唯一の装甲列車と いわれている。
「地球の歩き方」には中央駅の東側、ヴィスワ川に近い「軍事博物館」が紹介され ているが、ここ「鉄道博物館」の記述が見られないのは残念だ。何れも第二次大戦前後 の「負の遺産」ともいえる時代の遺物を多く保存展示していることは印象的だった。
本稿では『とれいん 1990年10月号(通巻190)』の「聖ペテルスブルク発オリエント 急行(U)」の記事を参考とした。
(なかむら・たかゆき 2001.03.24)
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